そうだ!フィリピンに住もう

ダバオ Davao Dabaw byえくえく

お墓参りに思うこと@フィリピン

皆さん、こんにちは。えくえくです(#^.^#)

義母のお墓参りに行くたびに、自分自身はどうしようか考えてしまいます。差し迫った問題ではないのですが、一寸先は闇ですから、ある程度のことは決めておかなくてはならないとも思ってます。さて今回はフィリピンのお墓参りの様子をを紹介しますが、SNSなどを通じて「フィリピン在住の皆さんはどうするのか?」も聞いてみたいです。

 

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ここは妻の母、要は義母が眠る墓地で、ダバオ市内の端の方にあります。墓石はもちろんまだですが、私は自分自身が埋葬される土地をこの墓地内に4人分買ってます。ちなみにカトリックは火葬ではなく土葬という点が、日本の墓地とは大きく異なる点です。尚、葬儀や9日間供養の様子については、以前の私のブログをご覧ください。

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のどかな墓地で、まるでピクニックしに来たような錯覚を毎回起こします。しかし私は歩きにくいのです。フィリピンは土葬で棺桶ごと土中に埋めるのですが、そんなに深くはありません。要は目的地に行く際、棺桶があるとはいえ、知らない方のご遺体の上を歩くことになるのです。うちの家族は気にしてないようですが、私はやはり気になります(-_-;)

 

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まずは墓石の掃除からです。この墓地には管理費を払っているので、一定水準の掃除はしてくれますが、一つ一つの墓石を磨いてくれるわけではなく、家族が掃除しないと、土などに少し埋もれて汚くなってしまいます。

 

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次に花とロウソクをお供えします。カトリックに限らず、キリスト教にとってお墓は故人に会いに行って思い出を懐かしむ場所であり、神様へのお礼や、これからの家族や自分のことを改めて見つめ直す場でもあります。この墓石は義母のもので、私が結婚する2年前、12年前に亡くなりました。つまり会うことはできなかった人なのです。ちなみにギターを持ってきて歌う人もけっこういます。

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まずは義父の口上からです。カトリックの口上ですが、いまだに何を言ってるんだかさっぱりわかりません。但し最後はみんなと一緒に「アーメン」と言ってます。私は無宗教カトリックではないのですが、こういう時はやはり「家族と同じことしたいな」という気持ちになります。そしてこのタイミングで「自分はここに眠るとどうなるのかなあ」と考えてしまうのです。それは私がカトリックではないからです。

カトリック (概念) - Wikipedia

 

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その後は毎回、もう一人供養しに行きます。私たちの結婚式の時に私の父親役をやってくれた方が、2年ほど前に亡くなったからです。ちなみに義母の墓標から10mのとこになりました。何か縁があったのでしょうか⁉️

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ここはカトリックの墓地ですから、聖母マリア様がいます。キリスト教カトリックに限らず「お墓を作る」という考え方が必須ではない宗教です。「人は亡くなると天に召される」という考え方だからです。あくまでもキリスト教の神様はイエス・キリストであり、仏教のように先祖を崇敬することはありません。尚、お墓については規制がほとんどなく、自由なキリスト教ですが、唯一「芝生の上に建てる」ということが条件になります。

 

しかし私がどうもよくわからないのは、崇拝と崇敬の違いです。私の知る限り、フィリピン人のカトリックは「聖母マリア崇拝」です。これは日本のカトリック系教会に通うフィリピン人もそうでした。しかし表向きは「カトリック聖母マリア崇敬」です。キリスト教では聖母マリア崇拝を禁じてるそうで、プロテスタントカトリックに対し「やってるじゃないか!!」と批判したりするそうです。正直無宗教の私には「だから何だ?」としか思えないのですが、ここへ来るとそういうこともちょっとは考えたりします。

 

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墓地の外へ出る時に物を燃やして、それをまたぎます。そして帰宅したら家に入る前に塩を撒きます。日本でも塩を撒くことはするので、いつも似てるなあと思ってます。但し煙をまたぐのはなんでかわかりません。以前ですが、この墓地を管理する会社にきいたところ、「カトリックでなくてもこの墓地に入れる。実際そういう人もいる」と言うのです・・・

 

え~!!!!!!

 

マジかと思いました。で、看板を確認してみると「Memorial Park」になっており、たしかにカトリックの文字はありません。このことは妻の家族も知らなかったそうで、ビックリしてました。しかしフィリピンの他の墓地はどうなんでしょうか?同じような感じなんですかね?でもここの墓石一つ一つ見ると、実質カトリックの人しかいないように見えるんですよね。

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私はこの墓地に眠ることはもう決めているのですが、問題は宗教です。気になるのは「カトリックではない自分の葬儀はどうなるのか?」そして「どういう風に墓地で供養されるのか?」ということです。縁起でもない話ですが、そういうことを考えると自分がカトリックになった方がスッキリするのかなあと考えたりもしたことがあります。なわけで柄にもなく聖書を読んだことがありました。

 

「あなたがたの思い煩いを一切神に委ねなさい。神があなた方のことを心配して下さるからです」って、たしかに困った時は精神的には楽な言葉だけど、これ完璧に自己責任回避でしょ?あと「明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に十分あります」って何だ?明日の計画建てなきゃダメじゃん。さらには「神は人をご自身の形として創造された。神の形として彼を創造し、男と女とに彼らを創造された」

 

はあ?????

 

違うでしょ?人間は猿から進化したのです。今となっちゃ、これただの現実逃避でしょ。「昔そういう考え方があった」ことは理解できます。それはDNA分析の技術がなかったからです。「人間は猿から進化した」という仮説を立て進化論を発表したダーウィンも、当時は相当な宗教的弾圧を受けたそうですが、科学の発達によりそれを立証されたのは死後でした。そして最近はキリスト教系の科学者からいまだに反論されてるそうで、死んでも弾圧されてる可哀想な人ですね、ダーウィンは(-_-;)

進化論 - Wikipedia

 

とまあこんな感じで、カトリックの考え方には100%賛同できるわけではありません。要は私は一般的な日本人で、現実主義なんですよね。こんな考えで私が「カトリックになる」と言っても、神などいないものと思ってるから神への冒涜とはこれっぽっちも思いませんが、神を信じてる人たち、例えば妻の家族であったり周囲の人たちへの冒涜とは思います(-_-;)しかし調べてみたら恐ろしい事実がありました。

 

キリスト教人口24億人!!!!!

 

ウソだろ?そんなにいたの?世界の人口の1/3がキリスト教で、カトリックだけでも13億人とはこれいかに?????何がビックリするかって、世界人口の1/3もキリスト教の人たちがいて、聖書の内容があまり実行されてないことです。聖書の内容を実行してたら、戦争なんて起きるわけないでしょ?世界規模ではないですが、「右の頬をぶたれたら、左の頬も差し出しなさい」って、そんなフィリピン人見たことないです。右の頬ぶたれたら、絶対に相手の頬をぶち返しますよ、カトリックのフィリピン人は。まあ1000人いれば、1人ぐらいは違うかもしれませんが。

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要するにこの国においては、聖書は読むものではあるものの、それを実行する必要はないというのが私の見方です。アメリカなんかもそうですよね。カトリックの兵士なんて、本来はいるわけないですよね。たまに教会に行ってればいいだけならば、私でもできます。たとえ聖書の教えを実行しなくても、形式的にカトリックになるという選択肢もありなのかなと最近思うようになりました。そしてその方が自分自身の葬儀など、家族が円滑に進めやすいならばそれでもいいかなとも思えるのです。しかしカトリックの人がこのブログ見たら怒るだろうな。「父よ、彼らをお許しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです」なんて言うわけないないもんなあ・・・

 

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私は自分以外の人間がどんな宗教であろうとあまり気にならないタイプで、カトリックが悪いなんて思ったことは一度もありません。もちろんイスラム教もです。ちなみに私は妻がイスラム教でも結婚してたと思います。しかし振り返ってみると、一度だけカトリックを「怖いな」と思ったことががあるのです。かつて私が日本に住んでた頃、妻と神奈川県南林間のカトリック教会(上の画像)へよく行きました。妻が来日した頃は日本に友達が一人もおらず、友達作りにいいかなと思って連れて行ったのです。そこにはフィリピン人のコミュニティがあり、800人のメンバーがいました。

 

そこではもちろん神父さんのお話がありますが、最後の方でみんなで手をつないで「We are free~」と何度も叫ぶのです。もちろん私も一緒にやってたのですが、これは理屈ではうまく言えないのですが、カルト宗教的な印象があり、ちょっと寒気がしました。ちなみにこれはダバオのうちの方の教会ではやってないです。で、この「私たちは自由だ~」にはどんな意味があるのか調べてみました。

 

ルターの言う「キリスト教信者の自由」とは、カトリック教会と教皇の権威や規則、強制された行為から解放され、信仰のみによって生きることを意味してるそうです。なんだかよくわかりませんが、人の言うことは聞かないということだけはわかります。要はイエス・キリストさえ信仰してれば、何をやっても自由と言うならば、これは誰にとっても都合のいい話ですよね。

マルティン・ルター - Wikipedia

 

 私は聖書を読めば読むほど、自分が宗教の意味を履き違えてたような気がするのです。「1つの宗教に属すると、その宗教の戒律には従わなくてはならない」というのが私の感覚だったのですが、あまりにも日本人的というか、意外な自分の生真面目さに気が付きました。ぶっちゃけカトリックのフィリピン人はそれに従ってないのが多いです。でなければ300万人も麻薬常用者がいるわけないし、ケンカもありませんから。彼らもまたカトリックなのです。

 

あと実際にこの国に住んでみて、もう一つ誤解してた部分があると気がつきました。「フィリピンはカトリックの国」という印象になってるし、ガイド本なんかにも必ずそう書かれてますが、実は「なんちゃってカトリック」の方が圧倒的に多いのです。私たち日本人なんてもっと「なんちゃって仏教徒」ですよね。外国へ行く時は知らないうちに仏教徒になってる日本人ですが、大安の日を選んで教会で結婚し、正月は神社へお参り、葬式にはお坊さんを呼ぶ・・・ユニークな仏教徒ですよね(-_-;)

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何でこんなことを考えてるかと言うと、2年前にかなり焦ったからなのです。3年前まで元気だった母が突然悪性リンパ腫になり、発病してから半年で天国へ逝ってしまいました。で、葬儀のことなど何も考えてなかったから、焦りまくりました。

 

母の希望としては「父方の親戚は呼ぶな。家族葬にしてくれ。骨はフィリピンの私の家の近くに埋めてくれ」の3点、NPO法人の代表をしていた母なので家族葬というわけにもいかなくなり、葬儀やお墓についてもかなりスッタモンダして参りました。しかも母の希望を言われたのは、亡くなる1週間前でした。こういうことって「元気なうちじゃないと話せないな」とつくづく思いました。このことがあったから、万が一の場合はスンナリ行くよう考えているのです。

 

では最後に結論です。この国では多くのフィリピン人同様「なんちゃってカトリックはあり」と思ってます。けっして正しい事とは思いませんが、この国に住んでいく以上、それもありとしか思えないのです。やはり私がカトリックになってる方が、万が一の場合に残された者たちは動きが取りやすいはずです。そして私自身も残された者に迷惑をかけない分、安らかに眠れるような気がするのです。というわけで、いずれカトリックになるかもしれません、私(-_-;)

 

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