そうだ!フィリピンに住もう

ダバオ Davao Dabaw byえくえく

ボランティアは誰のためにある⁉️@フィリピン

皆さん、こんにちは。えくえくです(^_^) 2018年の11月から今まで、2〜3日に1度の更新ペースでやってきて、おかげさまで今回「200回目のブログ更新」になりました。なわけで今回は節目の「200回記念」、日頃のゆるーい内容から離れて、真面目にフィリピンの社会について考えてみました。

 

1. 日本人は勘違いしている

www.news24.jp

これは先日フェイスブックで見た記事です。ビックリしたのは、日本のテレビ局はこれを美談として報道しているということなのです。私はこれを見て、子供を引き取ったおばさんの身勝手さに体が震えるほど腹が立ちました。そもそも日本人は勘違いしているのです。フィリピンの孤児院は充実しているのです。

 

フィリピンには無責任な親が山ほどいて、孤児院はたくさんあり、そして日本人が思ってる以上に質量とも充実してます。つまりフィリピン人から見れば、孤児院の子供たちはそれほど可哀想ではないのです。というのは、親がいても物乞いをやらされたり、学校に行けない子供達があまりにもたくさんいるからなのです。

 

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「孤児院の子どもは可哀想だな」と思われても、日本なら当然かもしれませんが、フィリピンでは間違った先入観なのです。もちろん可哀想な部分もありますが、この国では「すごく可哀想」というわけではないのです。教会が支援している孤児院は、たいてい地元有力者のスポンサーがあり、さらに欧米の教会やカトリック信者からお金が集まり、また企業が経営する孤児院は商業的に運営されてます。その結果、孤児院の子どもたちは、毎日学校にも行けるし、衣食住には困ることもなく暮らせてるわけです。

 

但し孤児院の運営者は、表向きはそうは言いません。そりゃそうです、だって「資金はそこそこ潤沢だ」なんて言えば、募金は集まらなくなるし、利益は低くなりますからね。というわけで表向きは・・・

 

「フィリピンの孤児院は公営も民間もあるが、ほとんどが民間(これは事実)。そしてこの国は福祉政策に対する予算が充分にないため、民間の施設へは国や地方自治体からの補助金が一切なく、どの施設も寄付によって運営されており、安定した財源がないので、子供たちの衣食住の確保さえ厳しい」という形で募金の必要性を訴えるわけです。

 
まあ「全くのウソ」とまでは言いませんが、孤児院の子供たちは貧困家庭の子どもたちよりも数段いい生活をしているのです。毎日食事があり、なによりも「毎日学校に行ける」というのは大変幸せなことで、つまり孤児院の子どもの生活環境は整っており、商業的に孤児院を経営したいという方は別ですが、そこに外国人である日本人がボランティアとして、しゃしゃり出る必要はないのです。

 

そしてこの番組に出てきたおばさんは、自分のエゴで少年が孤児院に入れるチャンスを奪ってしまったのです。この少女の母親は麻薬絡みで刑務所にいたわけですが、出所してからこの少女を引き取るとのこと。おそらくこの少年にはこれから地獄が待っているでしょう。障害が本当にあるならば、物乞いとして格好の餌になりますからね。

 

私は「孤児院にさえ入れていれば」と思うと、このおばさんの身勝手さが本当に腹が立つのです。毎日食べれて学校にも行け、障害だって本当は精神的なものかもしれないし、この番組を見た日本の視聴者の皆さんは「孤児になったことが、この少年の人生の最大のチャンス」とは、誰も思わないのでしょうね。

 

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2. 本当に困ってるのは誰か?

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孤児院は前述の通り、ほとんどが民間の運営で、どの子を受け入れるかは、孤児院の経営者やシスターの裁量ひとつなのです。例えば上の画像が典型的な宣材写真で、こういう印象の子供ならば、たいてい入れます。それは募金の最大の武器は、SNSなどに投稿する「子供の笑顔」だからです。つまり子供の笑顔は最大の広告塔になるのです。

 

孤児院ごとに基準はまちまちですが、阿修羅の目を持つ子(宣材写真を撮れない子)や野良犬と変わらぬレベルの素行不良の子などは、孤児院の風紀を乱し、宣伝用の集合写真を撮れなくなる恐れもあるので、管理者が拒否する場合もあります。つまり「この子がいたら商売にならない」という場合は入所を拒否されるのです。


また「孤児」とは、基本的には両親や保護者のいない未成年者のことなのですが、実際には親が現存する場合も多々あります。それは「親がいない」というのは、親が死去した場合以外に「親が逃げた」または「親が刑務所にいる」というケースも多々あるからです。

 

そしてここからが「2. 本当に困ってるのは誰か?」の本題です。日本の皆さんは勘違いをしているのです。衣食住が保障されない街頭で物乞いをする子どもなど、本当の貧困層の子どもは、たいてい親など家族と暮らしているのです。そして親は働こうともせず、教会にも行かないから支援の受け方も知らず、児童労働や子供に物乞いなどをさせて食いつないでいるのです。

 

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ところが日本の皆さんは、街頭で物乞いをするようなストリートチルドレンは「みんな孤児」と思っているのです。違います!!捨て子のような子供はごく少数で、ほとんど親がいて、家族と一緒に路上で寝泊まりをしている子が多いのです。

 

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そしてその子供たちは親がいるので孤児院にも入ることができず、幼いころから児童労働を親から強いられ、学校にも通えず、路上や海上、ゴミ置場などでその日暮らしをしています。ぶっちゃけ地獄です。そして先程の日テレの番組に出てきた女の子は、そうなる確率が非常に高いのです。それは一度麻薬に手を染めた者が刑務所を出所して更生する確率は、限りなく低いからです。1%以下ですからね。

 

そして日本の皆さんが支援するのは、こういう子供たちではなく、たいてい孤児院の子供たちか教会に来る子供たちなのです。ストリートチルドレンはまず教会には来ないのですが、それは親も含めて文盲だったり、神父さんやシスターが話す言葉の意味を理解できないからなのです。あと体や服などが汚いため「引け目を感じて来れない」という面もあるそうです。

 

3. 在日フィリピン人の影響

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日本人が現地フィリピンでボランティアをする場合に、一定の影響を受けるのが「在日フィリピン人」の存在です。結論から言うと、在日フィリピン人にフィリピンのことを聞いても、実はあまり意味がないのです。それは長年現地にいないので、残念ながら実態をあまりわかってないからなのです。

 

日本人は「フィリピン人はフィリピンのことは全て知っている」と錯覚してるのです。たとえば在日フィリピン人は、abs-cbnのニュースなども鵜呑みにしてしまう人も少なからずいます。現地のフィリピン人では、そんなのまずいませんからね、特に政治絡みのニュースは・・・

 

但しこれは在日フィリピン人を批判してるのではなく、「長年いないと現地のことはわからなくなる」ということで、私だって日本のことがよくわからなくなってきてます。ニュースを見ても、空気感はわかりませんからね。なわけで私が日本人だからと言って、日本のことを聞かれても、今は困るのです。

 

実はフィリピンには「生活保護」のようなシステムがあり、各バランガイの裁量で少額ながら受給されてる所もあります。但しこれには地域差があり、「村長(バランガイキャピタン)がどうやって村長になったか?」によるのです。

 

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私が住む地域の村長は、スクワッターなど貧困家庭にお金(1軒200〜400円)をばら撒いて当選してるので、票を集められる貧困家庭には生活保護を適用してます。ちなみに余談ですが、うちの一族が擁立した候補は、わずか50票差で落選したので、うちは村長とはにらみ合いの状態が続いてます。そして次は必ず勝ちます!!

 

但し隣の村の村長は地元有力者にお金をばら撒いて当選してるので、貧困家庭に対する生活保護のシステムはありません。そして村長選挙は基本3年に1回なので、その辺の細かい状況は、長年日本にいるフィリピン人にはわからないのです。しかしそういう状況がわかってないと、「ボランティアをやる意味が全くない」ということにもなりかねないのです。

 

2年前の話ですが、私が住んでる地域のある教会に集まる貧しい子供に、在日フィリピン人のキリスト教団体から「ランドセル」のプレゼントがありました。で、このランドセル、誰も使わないんですよね。まず重いんです・・・

 

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フィリピンでは通学に布製のリュックサック(上の画像)を持つので、いくら軽量化されたと言ってもランドセルは重すぎるのです。あと「肩紐がかたくて痛い」という子もけっこういました。で、なんでこのことを知ってるかと言うと、数人の親から「あなた日本人だから買ってくれないか」と言われたからです(-_-;)

 

あとカバンの中身は、基本ノート1冊と弁当だけだから、ランドセルほど大きなカバンはいらないのです。家では勉強できる環境にないから、教科書は学校に置きっ放しなのです。しかしそれでもランドセルを背負ってニコニコした子供の宣材写真は撮らせてくれます。それは親も含めて、「次も何かもらえるだろう」と思ってるからですが、みんなランドセルには苦笑してました(-。-;

 

もちろんこの在日フィリピン人の団体が悪いことをしたわけではありません。まあ「故郷に錦を」という気持ちもあるでしょうが、いかんせん方向性がねえ・・・。但しそのランドセルは善意の募金か善意のスポンサーによるもののはずですから、人様のお金はもう少し有効に使ってもらいたいと思うのです。せっかくのランドセルもタンスの肥やしじゃねえ・・・あと私も買わないし(-_-;)

 

このランドセルの件は無駄なボランティアの象徴なのですが、これだけではないのです。つまりフィリピン人でさえ在日年数が長いと、フィリピンのことはわからなくなるということなのです。まあ1年に1度ぐらいフィリピンに来ても、実際の現地のことはわからないものです。

 

しかし在日フィリピン人団体がフィリピンでボランティアをするというのは、多少方向性がズレてても、ほとんどが善意のケースです。しかし全く善意ではない在日フィリピン人のグループもあるのです。

 

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では一例を紹介します。新宿中央公園などで炊き出しをやってる在日フィリピン人のキリスト教団体があります。この団体はその行動を認められ、静岡のあるテレビ局に出演しました。当然、賞賛の対象になり、本人たちは鼻高々でした。

 

しかし炊き出しの目的は何かわかりますか?日本に社会貢献することにより公的機関と関係を持ち、在日フィリピン人(特に意図的なシングルマザー)の生活保護の受給を受けやすいようにすることが主たる目的なのです。このためこの団体と関係のあるフィリピン人女性の中には「日本に行って生活保護を受けるのが夢」という人も少なからずいるのです。冗談じゃねーぞ!!

 

放送した静岡のテレビ局のみならず、冒頭の日テレや、ベトナム在住の特派員からフィリピンの情報を取って放送するテレ朝など、日本のマスコミの目は節穴と言わざるを得ません。或いは節穴ではなく、単にウケの良い情報を発信して視聴率を稼ぎたいだけかもしれませんが。

 

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4. ストリートチルドレンの背景

フィリピンの首都マニラは世界一ストリートチルドレンが多いのです。フィリピンへ来られる方はよくご存知だと思いますが、首都マニラやセブ島のようなリゾート地など、観光客の集まる所に多くのストリートチルドレンがいます。 

 

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ちなみにマニラに「トンド」という有名な貧困地域があるのですが、この場所はことごとく有名人の「好感度アップキャンペーン」に使われているので、住民も慣れたもので、写真や動画を撮られる際は、きっちりお金を取り、しっかり貧困を演じてくれます。また有名人とは世界各国の有名人のことですが、なぜここが選ばれるかというと国際空港であるマニラ空港から近いからなのです。なわけでこの「トンド」は世界的に貧困のシンボリックな場所になってます。

 

そして「フィリピンのストリートチルドレンが世界一多い」理由は、1970年代から80年代半ばにかけて起こった経済危機にあると言われてます。当時貧しい農村部から都市部へと大量に人々が移住し、特に首都マニラへの移住が多かったのですが、大きな人口流出があったことにより仕事不足となり、農村部へは帰りたくても帰れない、スラムに住み着いてスラム街は巨大化したということです。

 

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こうして夢を持って都会へ来たのに、まともな生活もできず、夢破れた移住者たちはそれが次第に暴力、麻薬、虐待、育児放棄へと発展し、ストリートチルドレンは増えてしまったようです。ちなみにマニラだけでも推定3万人のストリートチルドレンがいると言われてます。

 

5. 何をすべきか?

① 大人を働かせる

では何をすべきか?ズバリ「大人を働かせること」です。この国の最大の問題は「仕事がない」のではなく、「大人が働かない」ことなのです。まず前述の通り、孤児院の子供たちに金品を施す必要はありません。但し災害時など緊急時を除いてです。とにかく一過性の金品の施しほど意味のないことはありません。しかし理想とも言えるサポートをする若き日本人がいました。

 

まずは動画➡ https://youtu.be/NAzRJrgQbGU

上のURLの動画、これが意味のあるサポートなのです。この動画は92万回再生されてますから、関係者の皆さんもおそらくご覧になってると思います。この動画に出てくる「バジャウ」とは、海上生活者のことで、基本物乞いを生活の生業にしてる人たちのことで、私が住んでるダバオにもたくさんいます。

 

仕事をしたことがない人たちに、職業機会を与えて働かせるわけですから、この日本人の青年も並大抵の苦労ではなかったはずです。仕事をしたことない人を働かせるのは大変なことなのです。そしてそれが最も意味があることなのです。

 

それは一過性ではないからです。というのは物乞いをしてるバジャウの子供たちが大人になったらどうなるかわかります?また子供に物乞いをやらせるのです。私はダバオ市内トリルという所で、子供に物乞いをやらせてるバジャウの親に聞いたことがあるのです。

 

「なんで子供にこんなことやらせるんだ?」と聞いたところ、「私も子供の時にやってたし、私の親もそうだった。子供の物乞いは私たちバジャウにとっては伝統で、当たり前のことなのよ」と言われ、何も言えなくなってしまいました。

 

つまり「労働機会を与える」ということは、「物乞いは当たり前ではない」と認識させるということなのです。そして親さえ働いてくれれば、将来子供が親になった時、その子供には物乞いをやらせないという希望が出てくるのです。しかしボランティアという名目で金品を渡していれば、物乞いの連鎖は断ち切ることができません。行動で車が信号待ちしてる時にお金を要求する子供はなぜやめないか?それはお金をあげる人がいるからです。

 

この動画に出てくる青年は、バジャウの女性と結婚し、そこで生活してるわけですから、ボランティアというよりも起業家かもしれません。しかし「人のため」という観点からすれば、ボランティアをされる方も、この青年の行動を参考にすべきではないでしょうか。

 

② 地域性を考える

よく「フィリピンは〇〇だ」という表現がありますが、それは少数の地域しか知らない人が言うことであって、実際にはそんなに簡単に一括りにはできないのです。フィリピンは地域差がかなりある国です。

 

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例えば私が住むダバオ市ですが、道端にバナナなどフルーツの木が山ほどあるし、海へ行けば竹の棒に糸を付けてカンタンに魚が釣れるし、ココナッツの実はあっちこっちで落ちてきます。つまり「お金はなくても食べ物はある」ということなのです。なわけで上の画像の困窮邦人(私です)も、ここにさえいれば、飢え死にだけはしないでしょう。

 

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上の画像はマルンガイです。日本ではモリンガと呼ばれ、大変貴重なものと聞いてますが、ここダバオではただの雑草です。100種類近い栄養素を含むマルンガイですが、道端などあまりにもどこにでもあるので、うちの近所の公設市場では売ってません。買う人がいないからです。ちなみに上の画像はうちの裏庭のマルンガイです。

 

このマルンガイは驚くほど生命力が強く、枝を折って地面に挿すだけで、あっと言う間に育ち、放置すると高木になります。要するにその辺のマルンガイの枝を折って、地面に挿せばいいだけなのですが、貧乏なのに、それさえしない人がいるのです。要は単なる怠け者です。

 

私が言いたいのは、ボランティアでダバオ市内の人に食料をあげても、さほど意味がないということです。そりゃあケーキをめったに食べれない子にケーキをあげれば喜ぶでしょうが、募金で人様にお金を頂いてまでやることだとは思えません。食料ならば、マニラなどの貧困層の人たちにあげるべきです。

 

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これは気候が影響してるのです。ダバオ市はもう70年近く台風の直撃がないので、農作物がよく育つのです。バナナの木ですが、実はバナナは木ではないので、台風が来れば、根っこから流されてしまうこともあるのです。尚、セブからルソンにかけては台風の直撃があり、特に首都マニラには自然が少ないので、「貧困で食べられるものがない」ということもあるのです。つまり「お金がいる」ということです。

 

私たち夫婦が日本にいた時、神奈川県の大和市南林間のカトリック教会にちょいちょい行ってました。ある日ミサの後、20人ほどのフィリピン人女性と妻が話してました。で、一人が「子供の頃は貧乏で、お腹空いた時に食べ物なかったから土を食べたことがあるけど、みんなはどう?」と聞くと、半数以上が「ある」と答えたので、私は唖然としました。ウソだろ⁉️土を食った⁉️何を言ってるんだ⁉️

 

そこで妻は「うちも貧乏だったけど、食べ物に困ったことはないわ」と言うと、なんとその場にいた女性たちから「生意気扱い」されてしまったのです。これが地域性なのです。土を食べたことがある女性たちは、ほとんどがマニラ出身で、あとはヌエバエシーヤ、パンパンガ、レイテ出身で、ダバオ出身は妻一人だけだったのです。妻は生意気ではなく、そういう所で育っただけなのですが、地域が違うと、同じフィリピン人でもわからないことがたくさんあるのです。そして私はその時、本当の貧困を知ることになりました。

 

③ 教育

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日本の皆さんは「学校に行けない子供は学校に行きたがってる」と思ってませんか?いることはいますが少数派です。皆さんは鉛筆やノートなど学用品をもらって、嬉しそうな子供たちの写真を見たことがありませんか?あれは基本、募金目的の宣材写真ですよ(-_-;)

 

なぜ学校に行けない子供は学校に行きたくないのか?それは理由が2つあり、一つは「行ってもお金にならないから」です。貧困層の子供は、ゴミ集めや野菜売りなど、たいてい何らかの仕事をしてます。そして物乞いさえも仕事なのです。しかし学校へ行ってしまうと、お金を稼げなくなるので、それが嫌なのです。それを現地のフィリピン人はわかっているのですが、日本人など外国人のボランティア団体はわかってないので、「文房具と子供の笑顔のセット」の写真がSNSに載ってくるのです。要は親を働かせなきゃダメなんです。繰り返しますが、孤児院の子は毎日学校に行けますからね。

 

で、もう一つは「ついていけないから」です。私の家の5軒先に「15歳の小学校5年生」がいます。フィリピンは小学校でも留年があるのです。その子はとてもいい男の子なんですが、12人兄弟の上から3番目なので、下の兄弟の面倒を見なければならず、それで学校に行けないのです。うちのこともたまに手伝ってくれるホントにいい子なので、私と妻で「あきらめるなよ」と言ってますが、やはり授業についていけないので、行くのは嫌とのことでした。フィリピンでは小学校の卒業率は近年格段に上がって82%になりました。しかし18%はまだ卒業できないのです。

 

教育はフィリピンの重要課題で間違いはありませんが、「まず教育から」というのは無理があるのです。その前に親を働かせないと、子供は落ち着いて勉強などできないということなのです。理想論だけでは前へ進めません。

 

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6. 働かないフィリピン人

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理想は働かない人間に職業訓練をして、労働機会を与えることなのですが、この国ではそう一筋縄にはいかないのです。ぶっちゃけ、なんだかんだ言い訳して働かないのです。そしてそれを「神の意志」にしてしまうのです。

 

フィリピンには日本で言えば職業訓練所的な機関があります。通称TESDA(テスダ)と呼ばれ、正式には技術教育技能開発庁です。TESDAは、1994年に設立され、創設は労働雇用省国家人材青年評議会(NMYC)、教育文化スポーツ省の職業技術教育局(BTVE)、及び労働雇用省地方雇用局(BLE)の合併により行われました。

 

このテスダ、無料で受講できるのですが、ダバオではたいていガラガラです。受講すれば一定の資格も取れるのに、行こうとする人間が少な過ぎるのです。つまり一過性で貧しい子供たちに金品を渡すぐらいなら、その親たちをテスダに連れて行き、交通費を渡す方がよほど意味があるのです。親が職を得て働けば、子供はずっと食べれますからね。

 

では一生懸命働く意思がない人間はどうすると思いますか?答えは「子供をたくさん作る」ということなのです。おそらくこれは日本の皆さんは、全く理解できないはずです。しかしこれが現実なのです。では貧困層ほど子供が多い理由を挙げます。

 

まず貧困層で子供が多い場合、前述の通りバランガイ(村役場)から少額ではありますが、生活保護のようなお金をもらえる地域もあります。そしてバランガイによっては不法居住者として認めてもらえ、さらにそこに20年間住めば、地域によってはその土地をもらえる場合もあります。要は勝手にどこかの土地に掘っ建て小屋を建てても、それは住民として認めてもらえるのです。

 

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そして子供の面倒は上の子供に見させるので、下の兄弟の面倒のため、学校自体は無料なのに、毎日は行けなくなるのです。あと弁当代がないというのもあります。そして親は老後、その子供たちからお金をもらって生活するので、要は「子供=年金」なのです。

 

ではなぜ子供が多いか?これは夜ヒマだからとか、そういうことではなく、子供が親の生活費を負担するのに、子供が多いほど1人あたりの負担が少なくて済むからなのです。妙な思いやりとも言えるのですが、たとえば1万円を1人の子供で負担するなら1万円ですが、子供が10人いるなら1人あたり1000円で済むということなのです。但し富裕層や一部中間所得層家庭は、子供を私立校へ行かせ、一定の教育を施すので、子供を年金とは考えておらず、日本と変わりません。

 

ちなみに在日フィリピン人(特に女性)は、貧困家庭の出身者がほとんどなのですが、なぜ日本へ来るのか?それは「働かない兄弟がいる」というケースが多いのです。例えば兄弟7人いるとして、全員働いていれば、例え少額でもシェアして親など家族の面倒を見れるのですが、働かない兄弟がいるから、1人あたりの負担が増えてしまうのです。そして送金すれば、その働かない兄弟は永遠に働きません。しかしそれがフィリピン人、いや人間の本質かもしれませんね。私も誰かがお金を送ってくれてたならば、おそらく働かなかったと思います。

 

7. まとめ(日本人だから出来ること)

バジャウの女性と結婚して労働機会を与えた日本人青年は、フィリピン国内ではそれほど脚光を浴びてません。私はそれが大変不満です。それは私から見れば、ノーベル賞ものだからです。働いたこともない人間を働かせるのが、どれほどの偉業かわかりますか?そんなこと、この国では誰もできないんですよ。少なくともフィリピン人はあきらめてます。だから教会などで金品の施しをするのです。ではなぜこの若き日本人青年はできたのか?

 

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「自分が日本人だから」という私の日和見的な発想かもしれませんが、それが日本人本来のDNAだと思うのです。七転び八起き、成せばなる、戦後の焼け野原をあれほど復興させた先人たちのDNAが、どの日本人にも流れていると私は信じてます。それとセブの青年は「人に物を施す」という上から目線ではなく、自分自身も楽しもうというマインドがあったようにも見えました。

 

募金を集めたり、チャリティやったりして、可愛い子供に何かをあげれば、子供の笑顔を見れるし、フェイスブックツイッターなどのSNSにアップすれば賞賛されるし、そりゃあ楽しいですよね。それは私がゴルフへ行くのと同様、個人の楽しみなので、それを否定する気は毛頭ありませんが、個人の楽しみならば、自腹でやるべきと思ってます。人様のお金を使う以上は、意味あることをすべきだと思うのです。

 

フィリピン人は「働かない人間は何をやっても働かない」と、あきらめてます。そしてフィリピン人は「マティガス ウーロ(頭かたい)だから無理」と言います。したがって教会勢力を中心に貧困層に金品を渡すのはしょうがないことなのです。そしてボランティア団体や教会自体もそれで食ってる部分があるのです。その結果、この国は100年間も貧困の連鎖は止まりません。しかし私たち日本人は外国人、フィリピン人と同じ感性を持つ必要はないと思うのです。

 

日本人だからこそできるボランティアは何か?具体的な答えはなかなか出てきませんが、とにかく「大人を働かせる」ことです。そしてセブの青年の行動は大きなヒントになると思います。商業的にボランティア活動されてる方や、個人の楽しみとしてボランティアされてる方は、そのままでもいいと思いますが、中には「人のため」と思っているのに「実態を知らないだけ」という方もいらっしゃるはずなのです。今回のブログは、そういう善意の方にぜひご一読頂きたいと思って書きました。

 

尚、私も近隣の貧困層の子供たちには、それなりのことはしてますが、それは近所の人なら誰でもやってるような「助け合い」レベルのことで、「ボランティア」という言葉を使って、人様のお金を使うのは少し抵抗があります。とにかく働かない人間に雇用機会の創出、難しい課題ですよね。そして募金される皆さんも「そのボランティアは誰のためなのか?」をよく精査されるべきではないでしょうか⁉️ぶっちゃけ、意味があると思えるのは、ほんの一握りですよ。これ、営業妨害かな?でもホントのことは言っちゃうのです、私!ではでは!!

 

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