そうだ!フィリピンに住もう

ダバオ Davao Dabaw byえくえく

適性なんて無視して生きるべきじゃないか!!

皆さん、こんにちは。えくえくです(^_^) 実は最近、気になる日本語があります。それは「向いてる」という言葉です。一応私も日本人ですから、日本語としての意味ぐらいは知ってるのですが、どうも生理的によくわからないのです(-_-;)

 

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『ほんと、海外で働くのに向いている人は柔軟性があり、前向きで、社交性がありとかの羅列をみると反吐が出る。心から反吐が出る。日本で日本人特権なんてなく横並びの中がんばっている事だってすごいと心から思う。なんで海外が偉いんだ』という投稿をツイッターで見ました。

 

この投稿をされた方はマニラ在住で私のツイ友です。神経の細やかな女性なので、「無神経が服着て歩いてる」と言われ続けた私にとっては、とても新鮮な内容の投稿をしてくれる人です。ちなみにこの人は本来心優しい女性と思われますが、この時は思うことがあったようです。

 

ところが私はこの投稿を見て、日本語そのものは理解できたのですが、生理的に理解できなかったので、「こりゃまずいぞ」と思ったのです。「この人は何を怒ってるのか?」もさっぱりわからなかったので、「向いてる」という言葉について、よーく懐古しながら考えてみました。

 

そして考えてみると、なぜ私は生理的に理解できないかがすぐにわかりました。そもそも私は「向いてるか?向いてないか?」という概念なく生きてきたからなのです。正直私は「自分が何に向いてるか?」とか考えたこともありません。私の行動の規範は好き嫌い、要は「やりたいか」か「やりたくないか」だけなのです。で、「向く」という言葉を調べてみると・・・

 

【向く(むく)】

1. その方向に正面が位置するようにする。対する。面する。「上を向く」「東に向く」
2. その方向を指し示す。「磁石の針は北を向く」
3. その方向、状態にかたむく。「気が向く」「心は故郷に向いている」
4. 適する。ふさわしい。「若者に向いた仕事」

 

となっており、この4番がここで言うとこの「向く」の意味です。しかしこの「適する」「ふさわしい」というのは、誰の判断なんですかね⁉️自分の判断?第三者の判断?両方含めて?どうも辞書だとその辺もわからないし、結局調べても、よくわからなかったです(-_-;)

 

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私はそもそも行動の規範として「適するかどうか」とか「ふさわしいかどうか」という概念がないのです。それは自分自身もそうだし、他人に対してもそうなのです。私の行動の規範は「やりたいかどうか」しかなく、良くも悪くも周囲の評価がほとんど気にならないのです。

 

で、皆さんはどうなんですか?ホントに「適するかどうか」とか「ふさわしいかどうか」なんて考えて行動してるんですか?そんな話は、友人ともしたことがないので、ぜひ教えて頂きたいです。フェイスブックなどでも、よく適性診断みたいなゲームのようなサイトが出てきますが、あれって面白いんですかね⁉️

 

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そもそも適性なんて、誰がどうやって決めるんですかね?私は二十代の頃、某大手不動産会社に勤務していましたが、周囲のほとんどから「おまえはサラリーマンには向いてない」と言われてました。しかし私は何の感情も湧かなかったのです。というのは面接で「10年間はがんばります」と言って奇跡的に入社できた会社・・・向いてても向いてなくても、10年後にはやめるつもりだったので、どっちでもよかったのです(-_-;)

 

しかし一度だけ「向く」という言葉に感情を持ったことがあるのです。サラリーマン時代の飲み会で当時の上司が「俺はサラリーマンには向かなかったなあ」と言った時、私は爆笑し、「いや〜めちゃくちゃ向いてますよ」と言うと、その上司はブチ切れてしまったのです。今思えば若気の至りでした。別に言わなくてもよかった・・・

 

その上司は部長補佐で50代半ば、翌日同僚から「役員にはなれないからそう言った」と説明を受けたのですが、30数年も一つの会社に勤めてるのだから、それは「めちゃくちゃサラリーマンに向いてたから出来たこと」というのが私の考えでした。そして私はその上司にかなり嫌われることになりました。それは私が謝らなかったからです(-_-;)

 

だって出世できなかったのは、向いてないからじゃなくて、出世できる能力がなかったからでしょ⁉️じゃあサラリーマンやめて何ができたのか⁉️たとえ出世できなくても、最後まで居座り続けられる図太さがサラリーマンの適性じゃないんですか⁉️とにかく私は謝る必要はないと判断したのです。そこで謝ってしまったら、心の底からサラリーマンになると思ったからです。そしてこの時、自分で「向いてない」と言うのは、言い訳の言葉なんだなと思いました。

 

私はまだわからないことだらけなのですが、たとえば皆さんは、第三者に「向いてない」と言われたことがやりたいことでも、やらないんですか?逆に「向いてる」と言われたことがやりたくないことでも、やるんですか?世の中、ホントにそんなことがあるのですか?そして「向いてること=やりたいこと」と、決まってるんですか?

 

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しかし「向いてる」とか「向いてない」とか、適性を考えて判断するのって、息苦しくないんですか?「自分は何でもできる」と思ってる方がストレスにならないと思うんですけどねえ。私は「自分は何でもできる」と思ってるのですが、それはおそらく母のDNA(後記)を色濃く受け継いでいるからで、かなり自信過剰な性格なのです。あとアントニオ猪木先生も「元気があれば何でもできる」と言ってますが、それは正論だと思ってます。やっぱ大事なことは適性より元気でしょ!!!!!

 

そもそも第三者が「向いてない」と誰かを判断するのって、どうなんですかね⁉️「向いてる」ならまだいくらか理解もできますが、「向いてない」なんて大きなお世話でしょ⁉️人間には個性というものもあるし、苦手なことがあれば、努力してそれを克服すればいいだけでしょ⁉️ホント意味わからないです。

 

あと一見向いてないようなことが、実は武器になったりすることもありますよね。たとえば営業職、弁達な人が成績がいいとは限らないですよね。寡黙なことが実直に見えて好印象になり、その結果営業成績がいい場合もありますよね。あと怖がりの人ほど、過剰に防衛本能が働いて、格闘技で才能を発揮したりすることもあります。

 

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あと歌が上手い人でも「絶対に歌手に向いてる」とは言えないと思うのです。歌手に向いてる人がいるとすれば、それは歌が好きな人だと思うのです。そして人一倍何かを好きな人ほど、その何かのために努力して成功すると思うのです。つまり「好きこそものの上手なれ」というのが私の考え方なので、「好き>適性」だと思うのです。

 

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日本の政治家の適性って何ですかね?国民のことはどうでもよくて、名誉欲と自己顕示欲だけが異様に強く、選挙資金を何らかの形で準備できる能力があればそれでいいんですよね?じゃなかったら辻本清美が議員やってるわけないでしょ!!

 

で、政治家に向いてる人が政治家をやったらどうなります?病原菌で国民が不安に陥っている時に、1日3億円の国会開催費用を使って、花見の話をやるだけです。つまり政治家は「向いてない人」がやらなければ、我が国はよくならないということだと思うのです。適性の意味なんてないでしょ⁉️

 

一度しかない自分の人生なのに、第三者による適性判断に、本当に何らかの影響を受けるものなのですか?私は心の底から何とも思わないのですが、それっておかしいことなんですかね⁉️やりたいことがあればやる、それが成功しようが失敗しようが、人間は早かれ遅かれ死にます。どうせ死ぬなら時間は限られてるし、やりたいことはやって、やりたくないことはやらない方が得というのが私の人生観です。

 

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上の画像は3年前に他界した私の母です。よく言えば自由奔放ですが、息子の私から見ても変わった人でした。たとえば地下鉄、それも景色も見えない丸ノ内線の電車内で弁当を食べるのが好きだったり、別にハゲてもないのに、わけのわからないカツラをいくつも持ってたり、とにかくユニークな人でした。そして生前は800人規模のNPO法人の理事長も務めており、友人知人も多く、明るい太陽のような存在でもありました。

 

母の病名は悪性リンパ腫という突然の血液の病気だったのですが、最後はある程度余命はわかっていたようで、「私は自分のやりたいことはやったから、もう思い残すことはないわ。いい人生だった」と笑いながら私に言い、達観して天国へ行きました。

 

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また母は自らを「天才」と公言してましたが、やりたいことがあれば、陰で人一倍努力してました。料理は全くできなかったけど、私はそんな母が好きで、自分も死ぬ前には母のように「いい人生だった」と言えるようになりたいと思ってます。そしてそうなるためには「適性」という概念は必要ないと思ってます。生まれてこのかた、母から「向いてる、向いてない」という適性の話を聞いたことは一度もなく、口を開けば「あんたは何をやりたいんだ⁉️」でした。

 

結局「向いてる」について調べたり考えたりしても、何のこっちゃで、生理的にはよくわかりませんでした。私は第三者に「向いてない」と言われることでも、やりたいならやるし、「向いてる」と言われても、やりたくないことはやりません。そして適性については、今まで同様無視して生きていくことになります。それが正しいかどうかは、死ぬ間際になってみないとわかりませんが、一度しかない人生ですから、自分の好きにしたいと思ってます、母のように。ではでは!!

 

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