そうだ!フィリピンに住もう

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フィリピン移住の心得 その2

皆さん、こんにちは。えくえくです。今回は前回の続きで「フィリピン移住の心得 その2」です。「その1」はお金に纏わる話でしたが、今回は「どういう気持ちで移住するか?」という話です。それは「移住がストレスにならないためにどうするか?」ということです。但し重要なのは圧倒的にお金なので、今回は「その1」ほどは重要ではないです。尚、前回のブログはこちら↓です。

フィリピン移住の心得 その1 - そうだ!フィリピンに住もう

 

1. 無理な正当化をしない

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SNSなどを見ていると「日本のここが悪くて、フィリピンのここがいい!」のような投稿をよく目にします。もちろん「日本よりもフィリピンの方がいいこと」はありますが、社会保障、食の安全、教育、医療、建物の強度、衛生、インフラ整備などなど、国として総合的に見れば、「日本は一軍でフィリピンは二軍」と言わざるを得ません。

 

そんなこと誰でもわかってるはずなのに、なぜフィリピン移住を正当化しようとするのか?SNSなどでフィリピン移住を正当化しようとする方を多く見かけますが、それはやはり無理があるし、見てると息苦しささえ感じます。商業的に日本人を誘致したい方や専門職である一点を見てる方などは理解できますが、それ以外の方はねえ・・・

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私の目からは、無理な正当化は「自分は間違ってるかもしれない」という不安を掻き消そうとしてるようにしか見えないし、精神的に追い詰められてるように見えるのです。そしてそういう人が多過ぎます。では今回は「移住して楽な気持ちになるためにはどうすればいいか?」を書いていきます。せっかく移住するのですから、やはり楽しくやりたいですからね(#^.^#)

 

2. 都落ちを認識する 

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最も大事なことは「都落ち」を認識することです。そうすれば無理な正当化をする必要がなくなり、苦しまずに済みます。ハッキリ言いますが「日本人がフィリピンに移住する」ということは、すなわち「都落ち」です!これってひどいこと言ってるように聞こえますか?そうじゃないのです。それは私が自ら好んで都落ちしたからです。ではなぜそれを出来たか?かつて私は都落ちして「いい思い」をした経験があるからです。

 

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私は30代の半ばで世田谷から東京の郊外町田へ都落ちしました。目的は整骨院と整体スクールのの開業でした。世田谷区民には昔から「川向こう」というよろしくない差別用語があります。これは直接的には「多摩川を渡ると川向こう」という意味なのですが、実際の意味はそんな生易しいものではなく、「二子玉川を超えると、人も物も全てのレベルが落ちる」という意味の差別用語です。あと東京では「隅田川より東」という意味の「川向こう」としても使われてるそうです。

 

東京や大阪、アメリカでも都心部にしか住んだことがなかった私は、当時「川向こうの人間」になる覚悟がないまま「商業的に町田が適当」と判断して町田で開業を決め、半ばスネながら町田のアパートに転居しました。ところが住んでみると、めちゃくちゃ住み心地がよかったのです。当時「川向こうがパラダイス」だったことは、私にとって青天の霹靂でした。

 

3. 都落ちの楽しさを知る

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そして私は「自分はそもそも川向こうレベルの人間だった」ことを認識しました。つまりそれまで私は、住んでた場所で自分のレベルを勘違いしてただけだったのです。都心部よりも郊外が生きやすいというのはそういうことです。

 

私の場合は家だけではなく、職場もですからね。大変失礼ではありますが、それだけ町田は都心部に比べてほとんどのことのレベルが低かったのです。しかしそのレベルの低さで、どれだけ楽な人生を送れるかも知ることになりました。

 

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たとえば都心部ではありえない「スーパーに駐車場がある」とか、高級住宅街と言われる玉川学園でも傾斜地ゆえ土地の値段は坪単価50万円程度ですから、家を買うことも夢ではありませんでした。さらに物価は安いし、公営グランドが多く、10年以上草野球のチームを作って楽しむことができました。それもこれも「田舎で地価が安い」から出来ることなのです。

 

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そして町田で車の運転がどれほど楽になったか・・・都心部では割り込みするのも大変で、生き馬の目を抜くような交通事情ですからね。とにかく町田に来てから、毎日の生活が楽になりました。そして何よりも楽だったのは「商業的なライバルが少ない」という点でした。

 

整骨院や手技療法をやってる治療院は、都心部の方が断然レベルが高かったのです。そしていろいろ見た末「町田ならば商業的に負けるはずがない」と自信過剰気味に転居し、結果的にまあまあ楽に20年過ごすことが出来ました。しかしライバルが少ない分、自分自身はあまり成長しない20年間でもありました(-_-;)

 

その結果、私は「都落ちの楽しさ」と「楽に生きる」ことを知りました。私はサラリーマン時代のように都心部で強いライバルと切磋琢磨しなかったので、人としての成長はあまりなかったのですが、それが私の個性であり、度量だったのだと今は思ってます。しかしその「都落ち」をけっして認めようとしない人たちが、少なからずいるのです。

 

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ごめんなさい、それは一部のフィリピン関係者です。今回私に相談された5人の方もそうでした。ぶっちゃけ、そういう人は疲れるんですよね。たとえばみんなが「不味い」と言うハンバーグを「美味しい」と言う人がいても、それは好みだから「その人にとっては美味しいんだろうな」と思えるのですが、そのレシピを箇条書きにされて「このハンバーグは美味しいと感じるのが正しい」と言われたら、普通ドン引きするでしょ⁉️ドン引き〜!

 

4. 都落ちを覚悟する

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ぶっちゃけ私が移住してから帰国を考えたり、あまり悩まないのは、移住する前に「都落ちする覚悟」が出来ていたからです。その覚悟さえあれば、精神的に楽に過ごせます。シンプルに「フィリピンの●●が好きで移住した」だけでいいと思うのです。「理屈ではなく生理的に好き」で話は終われば、人との軋轢も生まれません。

 

フィリピン移住を正当化する必要など、どこにもないはずです。一度しかない自分自身の人生、正しかろうか間違ってようが大きなお世話です。会社組織にいるわけじゃないし、周囲の評価を気にすることほどつまらないことはないと思いますよ。日本人はコミュニケーション能力が高すぎるのです。めんどくさい人間関係はストレスになるだけですから、さっさと切りましょう。SNSなら速攻ブロックですね。正しいことが有意義とも限らないし、間違ってても幸せなこともあります、キッパリ!!

 

まとめ

私は生来の怠け者なので、もし都に長くいたなら早く人生を消耗してたような気がします。しかし私は現在も含めて都落ち期間が長いので、同年代の男性よりも心身共に余力があり、現在は57歳ですが「60歳までには何か商売をしよう」と思えるほど余力があるのです。自信過剰かもしれませんが、60歳で再スタートして、そこからまた頑張れると思ってます。

 

この国は狂犬病デング熱マラリア、最近ではポリオなどの感染症もあります。そして先日またミンダナオで大きな地震があり、多くの方が被災されました。住宅はもちろん、ビルもほとんど耐震構造になってないのです。

フィリピンでM6.8の地震 4人死亡62人けが | NHKニュース

 

こんな国に移住したいのには、皆さんそれぞれの「わけ」があるはずですよね。そしてその「わけ」を移住前によく精査された方がいいと思います。そしてそれを何らかの形で書面にし、悩んだ時は読み返すのです。他人の意見なんて関係ありませんよ。そこに一人一人の答えがあるはずですからね。ちなみに私のブログの初回が「移住の理由」でした。これは皆さんの参考になるとは思いませんが、↓に添付したので、よろしければご覧ください。では次回は「フィリピン移住の心得 その3」です。ではでは!!

なぜ私はフィリピンへ移住したのか? - そうだ!フィリピンに住もう

 

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