そうだ!フィリピンに住もう

ダバオ Davao Dabaw byえくえく

近所で旧日本軍の不発弾が見つかって思うこと@ダバオ

皆さん、こんにちは。えくえくです(^_^) いきなり驚かすような話で恐縮ですが、先日うちの近所で旧日本軍のものと思われる不発弾と拳銃が見つかりました。で、今回はその様子と「戦時中のダバオはどんなだったのか?」についても考えてみたいと思った次第です。

 

f:id:davaomania:20200212195435j:image

うちから100mしか離れてない場所で、「不発弾3発と拳銃数丁」が見つかりました。この場所に元々スクワッター(不法居住者の集落)があったのですが、中学校を建設するために、20軒ほど強制撤去されました。そして建設中、地面を掘ってる最中に不発弾が出てきたそうです。

 

見つかった日は地元民で黒山の人だかりになりましたが、子供たちは不発弾がある場所で興奮気味に遊んでました。なんで親が注意しないのか?さっぱりわかりませんが、スクワッターの子供たちは日頃遊びに出掛けることもないので、イベント事と錯覚してたのかもしれません。

 

あと私は数人の地元民から「不発弾は日本のだから、日本人がなんとかしてよ」とも言われました。まあ冗談ぽく言われたのですが、そう言われると、妙な責任感も湧きました。かと言って何すりゃいいのか・・・

 

そして翌日、警察の爆弾処理班が来て、不発弾と拳銃を回収して行きました。やはり旧日本軍のものらしく、爆弾は小型のもので、長さ50cm程度のものが3つあったそうです。ちなみにその時も至近距離で黒山の人だかりでした。私はそれを見て「この人たちは爆発するかもしれないという感覚はないのか?」と思いました。しかし思いあたることがあるのです・・・

 

フィリピン英会話ネット

 

f:id:davaomania:20200213103748j:image

それは「そもそもこの辺には不発弾はあるかもしれない」という前提の元にここの人たちは暮らしていて、妙に慣れてるのかもしれないということなのです。というのは不発弾が見つかった場所の一本先の道には「ジャパニーズトンネル」があるからです。上の画像は観光地化したジャパニーズトンネルですが、実はダバオ市内にはここだけではなく、いくつもあるのです。

 

ちなみにその観光地化した方のジャパニーズトンネルに行った動画(↓)を以前YouTubeに投稿してるので、よろしければご視聴ください。ちなみにこの施設は現在民間人の手で運営されており、歴史を忠実に再現したというよりも、完璧に観光者向けにデフォルメされた感じではあります。

動画➡https://youtu.be/GhVHKLCRoQc

 

尚、観光地化されたジャパニーズトンネルは、第二次世界大戦中に日本軍が隠れ基地として掘ったもので、全長は最大8キロもあったそうです。そして1960年代に道路工事を行った際に偶然発見され、トンネル内からは軍票や拳銃が見つかったそうです。

 

そしてジャパニーズトンネルで思い浮かぶのは「山下財宝」ですよね。うちの近所のジャパニーズトンネルでも、かつて不発弾や拳銃が見つかったそうですが、地元民にとってはそんなのはどうでもいいことで、狙いは旧日本軍の財宝だったそうです。

山下財宝 - Wikipedia

 

で、うちの一族の中にも数人そのトンネルに入ったのがいるそうですが、コブラのようなヘビがたくさんいて、探索するのは断念したそうです。今は埋められてますが、私が住んでる地域には観光地化されたジャパニーズトンネルのように、商業的に利用できる才覚がある人がいなかったようです。

 

フィリピン英語留学にご興味ある方、まずは資料請求!

 

では当時の日本軍はここダバオで何をしたのか?調べてみました。終戦間際、ミンダナオ島の日本軍拠点は全て連合軍の支配下となり、日本軍守備隊は壊滅的な打撃を受け、山中に逃れた日本兵や日系民間人は食糧不足に苦しみ、ゲリラの手によって殺害されていったそうです。

 

「しかし戦略的に見るとさしたる意味を持たない結果となった」と、ウィキペディアにはひどい表現で書かれています。さらに連合軍の軍事的目的のうち、日本側の南方航路の遮断はルソン島への上陸によりすでに達成されており、3月中旬の南号作戦中止と下旬のヒ88J船団全滅を最後に南方航路は閉鎖されていた。もうひとつの目的の蘭印上陸作戦も実施されずに終わった・・・とも書かれており、これが結果だそうです。

ミンダナオ島の戦い - Wikipedia

 

f:id:davaomania:20200213103901j:image

上の画像は妻の祖母で、現在90歳になります。平均寿命が68歳の国なので「奇跡の人」とも言える存在なのです。私は10年ほど前、妻と結婚した当初、このおばあちゃんから当時の話を聞きました。まあこっちから聞いたわけじゃないんですけどね(-_-;)

 

「昔ダバオの若い娘は、日本の兵隊に見つかると、たいていレイプされた。それが嫌で、当時の若い娘は相手は誰でもいいから結婚したんだ。そして私もだよ」とのことでした。あと日本人の私のことが「少し怖い」とも言われました。そうなんです、ここダバオには「日本人は怖い」という感覚を持ってる人が少なからずいるのです。

 

このおばあちゃんがウソを言ったとも思えませんが、この話が事実かどうかはわかりません。当時の兵隊さんが全てそうだったとも思えないし、なんで結婚してるとレイプされないのか?結婚してればレイプされてもいいのか?どうもよくわからない部分はあるのですが、少なくともそういう風潮はあったのだと思います。あとこのおばあちゃん、「誰でもいい」と結婚した相手との間に、12人も子供を産んでるし、ホントに誰でもよかったのかなあ・・・

 

日本軍拠点は全て連合軍の支配下となり、壊滅的な打撃を受け、山中に逃れた日本兵や日系民間人は食糧不足に苦しみ、ゲリラの手によって殺害されていった・・・その極限の状況下で常軌を逸してしまった兵隊さんがいたとしても、不思議はないような気がします。大変不謹慎ではありますが、私だってその状況下にいたら何をしたかわかりません(-_-;)

 

そして今、このおばあちゃんは私のことをなぜかアメリカ人だと思っています(-。-; 少しボケてしまったのです。まあそれでも日本人だと思って恐れられるより、アメリカ人(嫌いだけど)だと思ってニコニコしてくれる方が嬉しかったりもします。しかし戦後70年も経ってるのに、今回の不発弾の件も含めて、今もまだ戦争の爪痕が残ってるもんだなと思いました。ではでは!!

 

にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ

ご愛読ありがとうございます。最後に上↑のバナー「フィリピン情報」をポチっとお願いします。にほんブログ村ブログランキングに参加してます。

 

ホテル予約最大16%割引 Booking.comカード

 

できればこちらも↓ポチっと!!