そうだ!フィリピンに住もう

ダバオ Davao Dabaw byえくえく

なぜ私はフィリピンへ移住したのか?

 

皆さん、こんにちは。えくえくです(#^^#) 第一回目はこのブログをやっていくコンセプト「なぜ私はフィリピンに移住したか?」を紹介したいと思います。ちなみに私は特にフィリピン好きではなかったのです。以前から「おまえはフィリピン好きだなあ」と周囲から言われてますが、移住先としてフィリピンを考えたことは一度もありませんでした、12年前までは・・・

 

1. 気候

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まず何と言っても気候です。私は56歳ですが、その大半を日本で過ごしたのに、結局日本の特徴である「四季」に適応できませんでした。実は学生時代はアメリカに留学しており、カリフォルニア州に住んでました。で、当時帰国してから1週間ほど嘔吐の連続・・・梅雨時だったこともあるのですが、日本の空気が気持ち悪かったのです(-_-;)

 

当時は「自分は日本人だから、いつか慣れる」と思ったのですが、それから30年経過しても、結局元には戻れませんでした。ダバオの気候は夏が大好きな私にとっては最高ですが、特にいいのは「台風の直撃がない」ということでした。「60年以上台風の直撃がない」から、農作物がよく育つのです。これは生きていくには大変重要なことでした。

 

2. 環境

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私は現在の妻と結婚する前にも、フィリピンへは何度も来てました。滞在するのはだいたいマニラ、マカティ、ブラカン、パンパンガでしたが、「フィリピンに住みたいな」と思ったことは一度もありませんでした。ちなみに当時、バハによる感染症や半生の卵の菌による食中毒で入院したこともありました。

 

ところが12年前、現在の妻と出会って状況は一変しました。「なんだここ?フィリピンか?」と思うほど、ダバオはそれまで行っていたフィリピンとはいろんな意味で違い、正直驚きました。まず治安がいいこと、それと都会と自然が同居してる感じが、私の住んでいた町田相模原地域にそっくりだったのです。要は「都会的な場所もあるけど、ちょっと行けば自然味がある田舎」というような環境が私にはピッタリだったのです。

 

ダバオ市は日本でも有名なあのドゥテルテ大統領が、20年間市長をしていたことでも有名ですね。20年前フィリピンでも最も危険な都市だったダバオ市を、現在のフィリピンでは一番、一昨年は世界で第4位の安全な都市にしてくれました。まあダバオ市から一歩出たら、マニラ並みに治安が良くないとこもあるんですけどね。

ロドリゴ・ドゥテルテ - Wikipedia 

 

3. マルンガイ(モリンガ)の存在

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なんと言ってもマルンガイ(英語ではモリンガ)の存在は大きいです。日本でもマルンガイ関係の栄養食品は最近出てきましたが、しょせんは加工品・・・私は新鮮なマルンガイを食べたかったのです。やはりおじさんですから、健康には気を使わなければならない年頃なのです(-_-;)

世界が注目のスーパーフードモリンガ+乳酸菌【ビューティーモリンガ】

 

これだけで100種類近い栄養素が含まれている驚異の野菜、いろんな病気の予防にも役立ち、まさに宝です。しかもダバオ市では道端に自然に生育しており、新鮮なマルンガイがタダで取り放題です。もちろんうちの裏庭にもあるので、今はほぼ毎日食べてます。ちなみに日本名はワサビノキというそうです。

ワサビノキ - Wikipedia

 

4. レジャースポット

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うちから車で10分で、こんな海があります。白浜でないのは残念ですが、人も少ないのでリラックスするにはもってこいです。それでも日曜祝日はもうちょっと人がいます。私は海が好きなので、海の近くに住むのが昔からの夢でした。但し津波が怖いので海から車で10分程度のとこ・・・妻のダバオの実家がまさにそういうとこで、私にとっては理想的な立地でした。なわけで5年前に妻の実家の隣の家を買い、移住に備えたわけです。

 

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上の画像はイスラリータビーチです。ダバオ市から船に乗って1時間もすると、こういうレベルの海があります。ここに行くまでのサマル島にもきれいなビーチがたくさんあります。浅瀬でも足元には魚が泳いでいて、ここはまさに楽園です。あとは開発されないことを祈るのみです。ボラカイみたいなったら困りますから、あんまり有名にはなってほしくないです。

 

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他にも例を挙げるとキリがないのですが、海に山にとレジャースポットがたくさんあり、ダバオ市内にいるだけでも飽きません。もっともダバオ市は一都市の面積としては世界一の広さですから、市内と言っても広大な面積になります。

 

5. 食べ物

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上の画像はラウオイと言って、ダバオの代表的な家庭料理です。ダバオの家庭料理はこれに限らず、一般的なフィリピンレストランのメニューとは違い、アッサリ系で野菜をふんだんに使った料理が多いのです。日本人には合ってると思います。但しなんでもかんでも生姜が入ってますが(-_-;)

 

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これは裏庭で取れたバナナです。日本のバナナとは全くの別物で、甘みも酸味も強く濃厚な味、これを食べると日本のバナナは食べられなくなります。ちなみにフィリピンにはおかず用やそのまま食べる用、加熱してデザートにするものなど、何種類ものバナナがあります。ダバオにはたくさんの種類豊富なフルーツがあり、それは私にとっては大きな魅力でした。

 

 

6. 飢え死にだけはしない

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6番目に挙げた理由ですが、実質これが一番かもしれません。「困窮邦人」という言葉がありますが、私もそうなる可能性があります。その時一番気になる点は「食べていけるかどうか?」ですが、ここにいればその心配はないのです。

 

上の画像は裏庭で、画像には撮り切れないほど広い敷地です。林のようになっており、一年を通じていろんなフルーツや野菜が収穫できます。しかも妻の実家の場合は特に販売はしてないので、収穫したものは家族で食べてます。

 

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上の画像のランブータングアバノ、マーラン、ドリアンなどのフルーツやナスやオクラなどの野菜も採れます。妻の実家はけっして裕福ではないのですが、食べ物に困ったことはないそうです。というのは・・・

 

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そりゃそうです。バナナの木(正確には木ではない)なんて、何百本あるかわかりませんから。

 

たとえ困窮しても飢え死にはしない!!

 

カッコ悪いとは思いますが、このことは移住するにあたって大きな要素でした。あとこの地域は水道水も飲めます。マウントアポの麓に位置し、きれいな水が流れている地域なので、飲料水を買う必要がなく、裏庭で収穫したものと水があり、家さえ確保すれば、最悪のケースでも生きていけると判断したわけです。

 

7. 人生のスタンス

私は学生時代の16歳から働いており、55歳で40年働いたことになります。アメリカ留学時代でさえ、モグリで中古車を販売してました。私は他の人よりも働き始めるのが早かったせいか、20代の時に「55歳になったらリタイヤして南の島へ移住しよう」と思ってました。そして「55歳でリタイヤするにはどうすればいいか?」と考えて生きてきました。つまり南の島への移住は人生の目標でもあったのです。

 

しかし全くを以て全然計画通りの人生ではありませんでした(-_-;) バブル期は株で大損して財産没収とか、一部上場企業に勤めていたのに全く違う業種で独立開業とか、他には度重なる結婚と離婚・・・40代前半で人生の目標にはたどり着けない可能性もあったので「これが人生のラストスパート」と思い、仕事はけっこう頑張りました。まあいろいろ文句もあったけど、人のせいにしたとこで人生終わりだし、結局お金がなければ何もできないから、当時は無い知恵絞って仕事を頑張るしかなかったです。

 

で、私の目標は「南の島への移住」だったので、別にフィリピンでなくてもよかったのです。現在の妻と結婚したのもフィリピン移住が目的ではなかったので、一時はマレーシアやニューカレドニアへの移住も夫婦で検討した時期がありました。しかしやはり「困窮しても飢え死にだけはしない」というセコい理由が決め手になり、フィリピンのダバオ市、妻に実家の隣へ移住することになりました。

 

まとめ

結局のところ、移住を考える人は私も含めて、現状の不満があり、そこから脱出したいということだと思います。私の場合は気候、特に四季でした。冬は寒くて体動かないし、春になったら花粉が飛んで花粉症の私には地獄、梅雨はジメジメして気持ち悪く、大好きな夏は夏休みの子供がウジャウジャいて、どこに行っても落ち着かない・・・結局1年を通じて気分よく過ごせるのは9~10月の2か月程度、2/12で人生をエンジョイできるわけなかったのです。他にも不満はありましたが、それほど大きな問題もなく、やはり気候が一番の不満でした。

 

あともう一つは「日本人として誇りが持てなかった」ということです。アメリカの大学の教科書には、第二次世界大戦後の日本について「日本は資源がなく、51番目の州にするには魅力がなかった。しかし日本人は勤勉なので、教育、労働、納税を法律で義務付け、税金でアメリカ国債を買わせることで実質日本を統治した」と記されてました。ぶっちゃけその時はかなり頭にきましたが、後々他の国のテキストを調べてみたら似たり寄ったりで、だいたいそんな感じでした。

第二次世界大戦 - Wikipedia

 

つまり我々日本人はアメリカ国債を買うために、アメリカ人に生かされてるのであり、やはり戦争は勝たなければならないと痛感しました。あと「当時マッカーサーは日本の憲法を制定するために、ハト派だった吉田茂を隠れていた鳩山邸別荘から探し出して総理大臣にした」ともアメリカの大学の教科書には書かれてました。

 

つまり日本人は憲法によるマインドコントロールからいまだ逃れられないのです。そして改憲に反対してる人たちもこのことは知らないのです。なんせ日本の教科書には書かれてないですから。

 

しかし勝てば官軍、原爆を落としても何のお咎めもないわけですからね。国連への拠出金なんて、我が国はアメリカに次いで二番目に多いのに常任理事国にもなれず、いまだに大した発言権もありません。ではこれを変えられるのか?変えられないし、変えない方がいいというのが私の結論でした。

 

これを変えるには、もう一度戦争をやって勝つしかないわけで、それがいいわけありませんからね。つまり日本人が日本人の誇りを取り戻す方法は、国際的にはもうないということです。オリンピックの時にせいぜい日本人を応援することぐらいでしょうね。私は「自国に誇りを持てないなら、そこにはいたくない」という気持ちが強かったのです。日本のまわりの人で嫌韓や嫌中という人が少なからずいましたが、私はそのあたりはどうでもよく、ハッキリした反米のタイプです。

 

まあ移住してもいろいろあります。この国は医療や教育など、日本と比べて劣っている点が多々あり、全てが順風満帆というわけではありません。今回の内容もフィリピン移住を勧めているわけではなく、「自分はこうだった」というだけの話です。結局のところは比較だと思うんですよね。

 

たとえば私がここで嫌なことがあったとします。その時に「じゃあ日本の気候と比べてどうなんだろう?気候がいいだけでも幸せなんじゃないのか?」と自問自答すると、多少嫌なことがあっても、この国にいた方が幸せという結論にたどり着くのです。この初回ブログは、いつか自分自身でも読み直してみたいと思ってます。5年後、いや10年後かな?では皆さん、今後ともよろしくお願いします(#^^#)

 

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